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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第2回講座

第2回『沖縄の自治の新たな可能性』~自治体再構築の起点と構想~
法政大学名誉教授 松下 圭一 氏


1.都市型社会の画期性とその特性

2.自治体は政治責任をもつ《政府》

3.2000年分権改革は何を行ったか

4.制度革命をめざす自治体法務

5.行政革新に取りくむ自治体財務

6.政府基本法としての「基本条例」

7.市民活動の変容とその問題性

8.市民文化の成熟への問とは


 私は、「時事問題」としての自治体問題ではなく、「理論問題」としての自治体問題をお話いたします。丁度、会場の大学教室にふさわしい主題だと思います。また、時事問題としての自治体問題についてはほかの講師の方々がそれぞれ取り組まれるようですから、理論問題としての取り組みは誰かがお話しなければならないと考えました。

 また、基本テーマとなっている沖縄への提言は、それこそ「地域自治」の原則にもとづいて、沖縄の市民の方々自身の問題ですから、私が知ったかぶりでお話しするわけにもまいりません。これまでも様々な方々からのたくさんの提言があったと思いますが、基本は沖縄の方々自身の考え方、さらに市民に応えうる政府としての市町村、県の在り方が問題となります。とくに、北海道と同じく沖縄県には、国の開発庁ついで開発局の担当という問題をかかえていますので、その廃止をふくめて市民自治から出発する地域自治を問い直すことが不可欠だと思います。

 この市民自治ないし地域自治は、基礎自治体としての市町村、広域自治体としての県をいかに改革するかという市民の課題と直結しています。とくに、2000年分権改革後は、政治・行政責任を国のみに問うのではなく、各市町村、各県がそれぞれ政府としての独自責任をもつことに留意したいと思います。これこそが、2000年分権改革の意義だったのです。むしろ、2000年代では、国ないし各省庁の政策は、都市型社会の成立、市民活動の自立という時代の構造には対応できずに時代錯誤となり、また今日では、国・自治体ともに財政も破綻状態ですから、私たち市民は市町村、県の改革に取り組みながら、考えかつ行動していかざるをえません。私の提言は、全国各地にたいしてと同じく、自治体の再構築をめざすということになります。


1.都市型社会の画期性とその特性

 日本の私たちは、2000年代では《都市型社会》で生活しています。この《都市型社会》とは、いわゆる工業化・民主化の先進国が20世紀後半に成立させた<社会形態>です。
人類はたえず移動するながい狩猟・採取段階をへて、1万年近く前から定着農業をはじめ、5000年前頃から、地域文明を成立させるほどに農村型社会を成熟させはじめます。周知のようにメソポタミア、エジプト、インド、中国など、あるいはマヤなどの地域文明は、この農村型社会の成熟の産物です。

 ついで、ヨーロッパの17世紀前後から始まる、新しい文明原理としての工業化・民主化は、国家を媒体に全地球を結びつけ、全地球はほぼヨーロッパの植民地として再編されます。日本の明治維新による明治国家の建設も、その衝撃のもとにはじまったわけですが、この時点が日本の工業化・民主化への出発となります。この工業化・民主化は、やがて、第一次大戦以降、国際連盟の試行をうむとともに植民地独立運動をうながし、第二次大戦後は、国際連合の成立をみます。

 こうして、2000年代の今日では、図1のような構造連関で、工業化・民主化が《普遍文明原理》となるとともに、工業化・民主化の先進国では、数千年続いた「農村型社会」を崩壊させて、新たに「都市型社会」に移行します。つまり、普遍文明原理としての工業化・民主化の各地域それぞれ個性を持つ成熟は、順次、「農村型社会」から「都市型社会」への移行を促します。

 この移行がいわゆる《近代化》でした。国家とはこの工業化・民主化つまり近代化の過渡媒体だったのです。この「都市型社会」に移行すれば、「国家」は図2のように自治体、国、国際機構という三政府レベルに分化していきます。そこでは、政府だけではなく、法、経済、文化も三層化し、図3のような構造連関をもつことになります。今日、いまだ「農村型社会」に留まっている地域ないし国が多いのですが、この後発国を含めて、全体としては、先進国の「都市型社会」が生み出した、図2、図3という構造連関をもってきました。

 この新しい<社会形態>としての「都市型社会」での私たち市民の生活様式は、当然、かつての<社会形態>である「農村型社会」とは異なります。「農村型社会」の生活様式は、定着農業を土台とする共同体+身分からなりたっていました。だが、国家による工業化・民主化の強行は、テクノロジーの発達とともに、人口のサラリーマン化を推し進めて、「農村型社会」の共同体+身分を崩壊させ、20世紀後半では都市型社会を成立させ、またマス・デモクラシーを生み出します。

 「農村型社会」では、生産力が低いため、ほぼ人口の90%前後が農業を生業としてきました。だが、近代化の開始とともに工業化がすすみ農業生産力の上昇もあるため、農業人口が減って、人口は労働者化ないしサラリーマン化し始めます。農業人口が30%を切った段階を「都市型社会」への移行の開始(日本では1960年代)、10%を切った段階を「都市型社会」の設立(日本では1990年代)と、私は位置づけています。

 この「都市型社会」では、「農村型社会」におけるムラ単位の<旧慣>による地域自給中心の生活様式は終わり、図4のように自治体、国、国際機構の3レベルの政府がそれぞれの政府課題に対応してかたちづくられる、<政策・制度>による問題解決が必要となります。つまり、問題解決の「規模」によって、政府は自治体(地域規模)、国(国民社会規模)、国際機構(地球規模)の三層へと重層化することになるのです。図2、図3をあらためて、参照ください。数千年続いた「農村型社会」と、20世紀後半以降成立し始める「都市型社会」との、構造的相異が、ここにあります。この点、くわしくは、拙著『都市型社会の自治』(1987年、日本評論社)に、その位置づけを述べています。


2.自治体は政治責任をもつ政府

 「都市型社会」における、私たちの市民個人の生活は、「農村型社会」の共同体が崩壊しているため、図4に整理したように、1社会保障、2社会資本、3社会保健がの政策・制度によって、その最低限(憲法25條)をシビル・ミニマム(市民生活の最低條件)として保障されない限り、生活ができません。

 かつての昔話の『桃太郎』を想起してください。「おじいさんは山に柴刈に、おばあさんは川に洗濯に」となっていますが、柴刈りは今日では地球規模でのエネルギー・ネットワークからなり、洗濯には遠く離れたダムからの水道から下水処理にいたるまでの巨大なシステムを持つ<社会資本>を必要としているではありませんか。それに、図4でみたおじいさん、おばあさんの日常生活についての<社会保障>あるいは<社会保健>まで、政策・制度課題は山積し、「農村型社会」のようなムラ自治単位での解決はもはや不可能となっています。

 としますと、私たち市民は、「農村型社会」の共同体習慣型の解決がもはやできないため、都市型社会での政策・制度型の解決を目指すことになります。それゆえ、個人自治で解決できる範囲をこえた、生活問題の《公共解決》のためには、私たち市民は税金を払って、「政府」を構築せざるをえません。この政府も、20世紀前半までは国レベルの政府、つまり国家だけでよいと考えていましたが、20世紀後半以降になりますと、自治体、国際機構も不可欠となることがようやく理解できるようになります。これが、今日、独自政府としての自治体の「発見」、国際機構(国連ならびに100前後の国際専門機構)の「創設」となります。この政府の特性・課題等を整理しますと、図5になります。

 まず、私たち市民は、個人で解決できる問題は「個人自治」で解決しますが、個人だけで解決できないとき、《公共》の政策・制度つまり「公共政策」をつくり、とくに基幹課題は「政府政策」とするために、税金を払い選挙で「政府」をつくります。私たちは、そのとき、政府としては、第一に基礎自治体(市町村)をつくり、ここで取り組めない課題のために広域自治体(県)をつくり、その運営・管理には、選挙(長・議会の選出)、納税(市町村税・県税)を行います。つぎに、自治体で解決できない公共課題を解決するため、自治体の補完として国レベルの政府を選挙・納税で創出し、更に、国単位なので間接的となりますが、今日では国が選挙・納税する国際機構も不可欠となります。つまり、市民が、自治体、国、間接的には国際機構へと、順次、「基本法」に基づいて「権限」「財源」を補完しながら信託しているわけです。これが「補完原理」による《複数信託論》となります。

 としますと、従来の考え方のように、「国家」が全能で、この国家から自治体あるいは国際機構が派生するという、「国家統治」型<派生>理論の時代は終ります。今日では、当然、『EU地方自治憲章』あるいは『国連地方自治憲章』案に見られるように、市民の「必要」から、自治体、国、国際機構へと、《信託》によって政府を積み上げていく「市民自治」型理論が、社会・政治理論として不可欠となってきました。
 以上の理論構成は、私は『EU地方自治憲章』以前の1975年の『市民自治の憲法理論』(岩波新書、2004年1月増刷)でその祖型をかたちづくっていました。日本の理論状況も、その後の2000年「分権改革」によって、この拙著でのべた「補完原理」ついで<複数信託>に変わりつつあります。

 そこには、図6のように、国家統治型から市民自治型へという、政治循環模型の決定的転換がおきているのです。しかも、国に独占されてきた政治が、行政のみと考えられてきた自治体でもはじまるのです。


3 2000年分権改革は何をおこなったか

 『地方自治法』の大改革のよる2000年の分権改革は、以上にみた都市型社会の構造に対応しうるように、日本の政治・行政を国家統治型から市民自治型への転換、つまり官治・集権から自治・分権への再構築をめざして画期をなす第一歩でした。
 周知のように、日本における戦前の明治国家では、県は国の直轄支店、市町村は県の代理店とみなしていました。この市町村を国、県につなげるトリックが、いわゆる「機関委任事務」手法だったのです。戦後は、『日本国憲法』の策定をめぐって、県も市町村とおなじく自治体となるため、国と県との間でも「機関委任事務」方式という官治・集権型のトリックを使うことになりました。

 このとき、「機関」とは国の機関としての知事、市町村長を意味します。つまり、自治体の市民代表としての知事、市町村長を、あたかも国の機関つまり「手足」としてつかうというのが、この「機関委任事務」方式のトリックたる所以でした。しかも、県、市町村それぞれがもつ基幹課題は、実質「機関委任事務」となっていたのです。それゆえ、国からみれば、自治体選挙は市民代表の選出手続ではなく、国の手足である知事や市町村長の選出手続にすぎなかったのです。

 知事、市町村長という自治体の首長は、自治体課題の基幹が機関委任事務であるかぎり、国つまり省庁による国法ついで通達・補助金基準のワク組のなかでのみ「決定」できるロボットでした。県、市町村の議会も、この機関委任事務については、一般質問はできても、原則として「審議」は禁止、「条例」も禁止でした。

 自治体職員ともなれば、「行政とは国法の執行である」というかたちで、実際は細かい通達・補助金にしばられて、いわば省庁から乱発される通達・補助金の基準というこのアンチョコないし虎の巻のママに執務するというかたちで、思考停止状態におかれていました。ですから、戦後も戦前とおなじく、各市町村、各県とも、独自の政策・制度開発は、1960年代にはじまる市民活動に触発された先駆自治体をのぞいては、夢想もしない、あるいは考えてはいけない、とされていたのでした。

 だが、2000年前後ともなれば、日本なりの都市型社会の成立、したがってまた市民活動の定着となるため、官治・集権型の政治・行政からくる政治停滞、行政劣化、さらに経済老化、財政緊迫が誰の目にもあきらかになります。ついに、自民党永続政権の終わりとなる細川内閣以降、自治・分権型政治・行政への転換が、おくればせながら政治日程にのぼったのでした。官治・集権型から自治・分権型へという、いわば≪構造改革≫への最初の成果が、「地方分権推進委員会」がおしすすめた機関委任事務したがって通達を廃止する『地方自治法』の大改正という、2000年分権改革だったのです。

 明治以来、県、市町村は官治・集権型に構築され、戦後も『日本国憲法』による第8章地方自治の規定にもかかわらず、旧内務官僚が骨核をかたちづくった『地方自治法』によって、機関委任事務方式が温存されたわけです。さらに、戦後日本の経済成長、ついで都市型社会への移行にともなう、シビル・ミニマム整備という政治・行政の課題増大とともに、かえってこの機関委任事務方式は肥大します。その結果、2000年前後には「日本沈没」といわれるほどの事態をむかえ、分権改革は不可避となっていたのでした。分権改革は「やらざる」をえない必然ともいうべき転換だったのです。この分権改革について、課題ついで理論の「成熟改革」と、私が位置づけた理由です。

 この2000年分権改革では、機関委任事務方式の廃止という考え方ないし権限の再編にとどまりましたが、財源については2003年前後から国ついで県、市町村それぞれの財政破綻にともなって、ようやく日程にのぼります。

 この2000年改革の意義について、拙著『日本の自治・分権』、『自治
体は変わるか』(いづれも岩波新書、1996年、1999年)、また『転型期自治体の発想と手法』(公人の友社、2000年)を参照ください。またこの改革を推進した当事者による西尾勝『未完の分権改革』(1999年、岩波書店)がその過程と論点を整理しています。


4 制度革命をめざす自治体法務

 2000年分権改革によって「機関委任事務」方式を廃止したため、市町村、県ともに、自治体はみずから政治・行政責任をもつ《政府》という位置づけとなります。市町村、県ともに、課題は異なるがそれぞれ独自政府として(図5)、政治・行政ないし政策・制度開発の責任機構としての再構築が不可欠となってきたのです。このため、市町村、県は、明治以来、国の責任とみなされてきた自治体レベルの法務・財務責任を、あらためて市民にたいしてもつことになります。第2節でみたように、市町村、県ともに、選挙・納税をとおして市民から、政府としての権限・財源を国と同じくそれぞれ「信託」された政府となったからです。

 ここで留意いただきたいのは、明治以来、日本の小学校から大学まで教えつづけられてきた「行政とは国政の執行である」という考え方です。この考え方は、官僚主導の<近代化>をめざした官治・集権型国家統治を文脈としています。だが、都市型社会の成立をみるならば、自治・分権型の政策・制度の構築を各市町村、各県が自治体としておしすすめないかぎり、この旧来の考え方では市民の「必要」に対応できなくなっていきます。

 もし、行政が国法の執行にとどまるとしたならば、日本のみならず世界各国においても省庁制つまり縦割「事業部制」をとっているため、(1)全国画一、(2)省庁縦割、(3)時代錯誤の行政となってしまいます。それゆえ、市民の文化水準が変容し、市民活動が群生して、官僚や自治体職員の文化水準・専門水準をこえはじめる都市型社会では、当然、各市町村、各県ともに、それぞれ、(1)地域個性、(2)地域総合、(3)地域先駆を発揮できるよう、自治体の権限・財源を整備して、官治・集権型から自治分権型に政治・行政を再編することが不可欠となります。ここが2000年分権改革の課題だったのです。

 つまり、都市型社会では国家(官僚)主導の上からの<近代化>はもはや終わっているのですから、政治・行政は、「国際基準」もふまえながら、「地域特性」をいかした「多元・重層構造」をめざすというかたちで、「分権化・国際化」せざるをえなくなっています。となれば、この変化した自治体課題に対応できるよう、市町村、県ともに、みずから「政策・制度」開発にとりくみ、図7の[1]のように、いわば政策の「制度化」ないし法制化という法務が不可欠になります。

 この自治体法務は、したがって、(1)条例の「自治立法」ついで(2)国法の「自治解釈」にとりくむことになります。この(1)(2)の法務課題は、第3節にみた「機関委任事務」の廃止によって必然の課題となった《制度革命》です。そのとき、自治体では従来型の(a)訴訟法務よりも、新しく市町村、県みずからがつくった政策の法制化という(b)「政策法務」、とくに「立法法務」が不可欠となります。

 日本の法学は、明治以来、また『日本国憲法』50年余りの今日でも、立法とは官僚による国家統治の秘術とみなしてきました。このため、大学法学部の講壇法学では「解釈学」中心になり、「立法学」の形成をいまだ考えてもいないのです。これが日本の法学の現状です。

 それゆえ、自治体法務の自立は自治体の再構築としての「制度革命」をめざすことになります。しかも、今後は、市民立法活動をふまえて、自治体立法が多様化し、この自治体立法の成果として自治体条例が国法の改革をうながすといった循環が、図6のようなかたちで進行することになります。「市民主権」による自治体再構築の当然の帰結です。この自治体からの国法改革は、(1)自治立法、(2)自治解釈につぐ自治体法務の(3)の課題です。

 そのとき、市町村、県ともに法務職員の独自養成、それに県、市では文書課あらため法務課、あるいは県の町村会での法務センターの設置が不可欠となります。しかも、市町村、県、国の間で法運用をめぐって政治対立がおきるとき、かつての機関委任事務方式のもとで国が県、市町村を訴える「職務執行命令訴訟」は廃止されました。2000年分権改革では、第三者機関をはさみますが、市町村、県が国、市町村が県を訴えるというかたちで、訴訟手続の逆転となる「政府間調整訴訟」になったのです。

 この自治体法務の実態と課題については、拙稿「政策法務と自治体再構築」東京都市町村研修所論集『翔』(2004年2月)を参照ください。


5 行政革新にとりくむ自治体財務

 2000年分権改革にともなう自治体の政府としての政治・行政責任の成立は、法務だけにとどまらず、ついで財務にもおよんでいきます。日本の自治体では、安易に、従来の官治・集権型財政構造のなかで、最後は国がめんどうをみてくれるだろうという甘えをもってきました。それゆえ、経済高成長つづいてバブルを背景に、国の予算編成期には、自治体から長や議員は大挙上京して省庁に圧力をかけるという、ナサケナイのですが、ムシリ・タカリの儀式が慣行として定着していきました。

 だが、国・自治体ともに政治家の圧力、官僚のバラマキによって、ついに2000年代ともなれば日本の財政は破産状態に入ります。国、自治体はともにその借金は、もう返せない規模ですがGDPの1.4倍、それに国の予算収入では半分近くが国債費という惨憺たる状態に入ってしまいました。日本の官治・集権型の政治中核をかたちづくった、国、県、市町村各レベルの政官業複合が、いかに無能かつ無責任だったかを露呈したのです。

 だが、問題はこの「過去」だけではありません。

 (1)日本は経済大国といわれるほど規模としての経済は拡大したため、今後、経済成長率は低くなり、年3%あれば幸運という段階に入っています。高い経済成長率は中進国段階で日本を含めてみられますが、すでに先進国段階に入りつつある日本では当然ながら低い成長率となります。自治体でも税収の自然増はあまりなく、横ばいか低落となります。

 (2)日本は少子高齢化段階での人口絶対減となるため、ことに自治体レベルでは、県庁所在市、政令市、東京都心区をのぞけば、よほどの政策成果あるいは幸運がないかぎり、中・長期には住民減、その住民も年金生活者となります。また住民減あるいは工場の外国移転、商店の活力喪失となれば、固定資産評価もさがり、税収減は、国・自治体間の財源再配分ないし税制改革をおこなったとしても、やってきます。

 のみならず、(a)旧自治省が交付税特別措置などであおった国内市場拡大、景気対策への動員による自治体のムダヅカイによる借金増、(b)せまりくる自治体職員の退職金危機(沖縄でもせまっていることは後述の拙稿の数表をみてください)という各自治体の政治責任が、前述の(1)(2)にくわわります。

 この(1)(2)、(a)(b)は、いわゆる合併によっては解決しえない構造問題です。総務省の無責任による合併特例の財源措置は、今後の人口減もあって、かえって合併自治体に廃墟をつくるという無残な逆効果をうみだすことを覚悟すべきです。

 としますと、国も破産状態、市町村からみれば県も破産状態ですから、市町村、県ともに自治体にふさわしく、自治体としての独自責任によって、この財源危機にとりくまざるをえません。そのとき、当然ながら、シビル・ミニマムという政策基準の再評価となります。自治体ないし、ひろく政治・行政はミニマム以上の政策・制度は持続できないのですから(拙著『シビル・ミニマム再考』2003年、公人の友社参照)、経営体である自治体はバブル期さらにデフレ対策として水膨れさせた従来の政策・組織・職員の再編とならざるをえません。

 日本では、これまで収入問題つまり財源を論ずる「財政」論しかなかったのですが、あらためて支出問題つまり人件費をふくめ政策再編というヤリクリを課題として、今まで欠落していた「財務」論によって、自治体の財務責任にとりくむ必要があります。

 これには、原価計算・事業採算の技術導入、入札改革、外郭組織再編、また予算・決算書の款項別から施策別への転換、さらに連結財務諸表の作成、あるいは補修・修景の技術開発といった、自治体にとっては、これまで未開の領域である財務技術開発に、オクレバセながらとりくまざるをえないことになります。従来の旧自治省・現総務省の問題設定が、ここでもタチオクレテいることを、きびしく批判したいと思います。

 この新課題としての自治体財務についても、これまでの財政課とは異なる財務室を、長直属ないし企画課、あるいは財務課内に新設して、単年度発想にとどまりがちの財政課の体質改革をはかるべきでしょう。

 なお、この自治体財務については、拙稿「転型期自治体における財政・財務」(公職研編『破綻する自治体、しない自治体』2003年3月臨時増刊)をふまえて、各自治体で具体的に御検討ください。今日の各自治体の財務状況は、たんなる経費節減をこえて、政策・組織・職員をめぐる再生という、各自治体みずからの《行政革新》としての自治体再構築なくしては解決しません。


6 政府基本法としての「基本条例」

 第3節でのべた2000年分権改革にともなう自治体つまり市町村、県の「政府」としての自立、第4、5節でみた自治体法務、自治体財務の戦略的緊急性をめぐって、日本の自治体には、あらたに≪基本条例≫の策定をうながすことになります。第2節でみたように、政府が自治体、国、国際機構へと三分化するとき、自治体の基本条例、国の憲法、国連の憲章という「政府基本法」の策定は必然の課題となるからです。

 この自治体基本条例は、戦後、アメリカからの発想にもとづいて都市憲章ないし自治体憲章というかたちでの模索が自治体レベルでみられました。私は、政府三分化論にもとづくとともに、自治体は条例制定権をもつのであるから、この条例の新しい<運用方式>として、《基本条例》という考え方を提起しました。これが拙著『日本の自治・分権』(1996年、岩波新書、122貢)に乗せた、図8の「自治体政策の構造論理」です。

 なぜ、自治体に基本条例が必要かは、自治体が政府としての政治責任をもったかぎり、明示の市民合意が基本だからです。第一に、市民の信託、つまり日常的には市民世論、市民活動、制度的には選挙、納税によって、権限・財源をもつ政府としての「基本構造」(Constitution)を、あらためて市民みずからが明示することが不可欠となります。第二に、自治体は政府として政策・制度策定、さらに法務・財務の責任を市民にたいしてもつかぎり、その中・長期の整合性をたもつための「枠組み」を市民相互に合意することも不可避だからです。第三は、次のような≪自治体課題≫について、市民がわかりやすく設定することも緊急だからです。

[1] 市民の参加型自発性の結集
[2] シビル・ミニマムの公共保障
[3] 地域生産力をともなう都市・農村整備
[4] 政治・経済・文化の分権化・国際化
[5] 自治体機構の透明化・効果化

 この基本条例の策定は、今日まで官僚法学ないし講壇法学が想定していなかったのですが、自治体が国法の自治解釈、条例の自治立法をおしすすめる政府となったかぎり、自治体レベルでは、この基本条例は国法の「上位規範」となります。つまり、自治体の政府基本法として、自治体の「最高規範」という位置をもちます。

 とくに、第一の「基本構造」の明示としての意義を強調したいと思います。最近、行政と市民の協働がひろく論じられていますが、行政がタテのオカミから、ネットワークでのヨコの協働という位置になることを評価するとしても、この「協働」は政府の<基本構造>からみるとき誤りとなります。なぜなら、市民は主権主体、行政組織は市民の「代行」機構にすぎず、市民の代表機構たる長・議会の「補助」機構にとどまるからです。基本条例は『日本国憲法』、新『地方自治法』でもあいまいな、この自治体の《基本構造》を明示するという基本課題をもっています。
もちろん、国の憲法、国際機構の国連憲章とおなじく、基本条例だけでは実効性がないため、基本条例の<関連条例>として、市民参加・情報公開、行政監査・オブズマン、また住民投票、あるいは議会運営・市民委員会設置などをめぐる条例の策定やそのたえざる改定がなければ、基本条例は実効性をもちません。なお、この〈関連条例〉は福祉・建設・環境や危機管理などの個別施策条例と異なった位置にあることは御理解いただけると思います。

 この基本条例についての私の考え方は、拙稿「なぜ、いま、基本条例なのか」(公職研編『自治基本条例・参加条例の考え方・作り方』2002年11月臨時増刊)があります。また、基本条例の条文構成については、神原勝『札幌市自治基本条例の構想私案』[神原私案](『北海道自治研究』2003年9月号)が、汎用性をもつとともに、今日の水準をしめしています。現在の情報公開条例のたかい水準のように、自治体相互まなびあって、日本なりの基本条例の成熟した水準をかたちづくりたいと思います。

 今後、たちおくれている県レベルの基本条例の模索も行われるでしょうが、そのときは、第2章でみた「複数信託論」による「補完原理」にもとづいて、基礎自治体(市町村)、広域自治体(県)、国の政府間緊張の理論化があらためて問題となります。ここを整理できない県レベルの基本条例案は、実効性をともなわない空文にとどまり、市民ならびに市町村からの批判を受けるでしょう。


7 市民活動の変容とその問題性

 以上に整理したような自治体の新しい戦略課題は、1960年代からはじまる自治体自体の変化の加速化、さらにこの《自治体改革》をうながした市民活動の変容からきています。

 日本が都市型社会に入り始める1960年前後から市民活動は出発しはじめたのですが、国際展望でみても欧米から遅れてはじまるというわけではありません。この意味では、日本の当時の〈市民運動〉は先進国と共時的存在でした。

 だが、当時も中進国状況の日本では、市民活動は(1)都市型社会に不可欠のシビル・ミニマムの公共整備については、ナイナイづくしのためのモノトリ型、また(2)都市型社会にふさわしい法制整備にはあまりにも農村型社会原型の官治・集権型法制のため、なんでもハンタイ型にならざるをえないという実情にありました。この市民活動については、市民参加についての日本最初の著作となった拙編『市民参加』(1971年、東洋経済新報社)が当時の実情を映しだしています。

 この市民活動は、1980年代にはいると、シビル・ミニマムの量充足は終わりはじめるとともに、法制の部分修正もくわわるため、モノトリ型から(1)地域づくり型に、またなんでもハンタイ型からついに2000年の分権改革を実現させて(2)批判・参画型へと、変容していくことになります。そこには、さらに[1]市民の文化・専門水準の上昇と[2]市民参加・情報公開の制度開発があったことも、その背景として強調する必要があります。ここから、市町村、県ついで国の省庁の「行政劣化」がひろく市民間で問題となっていきます。(『シビル・ミニマム再考〔ベンチマークとマニフェスト〕』〔ベンチマークとマニフェスト〕2003年、公人の友社参照)

 とくに、(1)(2)をめぐって、市民活動が2000年分権改革以降、《基本条例》策定にもとりくみはじめたことは、その変容を典型的にしめします。市民活動は、日常の争点をめぐって、既成の町内会・地区会を突破ないし再編しながら、泡粒のごとく登場しては消えていきます。ただし、地域規模だけでなく、全国各地、あるいは地球規模でおきているのですから大きなウネリとなります。それこそ「運動」としての成熟がはじまっていきます。しかも、今日では、NPOというかたちで、その法人化も日本ではじまり、「運動」から目的を特定して組織される、図2の「団体」レベルも構成することになってきます。   

 この、NPOの基本はあくまでも市民活動が祖型であり、NPOを市民活動からきりはなして、特権化することはできません。NPOを強調するときは、その祖型を忘れて、みずから法人格を特権化する、あるいはNPOの法人格を悪用しようとする団体も登場してきます。他方、行政もNPO「育成」を職員の業績とみなすという、逆転した事態もみられるようになります。

 ここから、次のように論点を整理しながら、永遠に未解決の難問ともいえる市民活動の問題性を考える必要がでてきます。

(1)市民活動は類型化できない「可能性の海」です。個別争点をめぐって後述する図10,11,12に整理した普遍市民価値を試行錯誤で追求する無限大の可能性をもちます。ついで、NPOとしての市民活動は、図2の2団体・企業レベルつまり「市民団体」となります。この「市民団体」は、目的を特定するとともに規模も大きくなって、普遍市民価値をかかげながらも、医師会、教員組合、芸術団体のように実態は特殊利益としての既得権をもつようになるため、団体としての存続そのものが自己目的となりがちです。ここから、NPOはとくに日本では行政依存となりがちとなります。

(2)政治・行政と市民活動とは対立・緊張が基本という、市民活動の原点を絶えず想起すべきです。市民活動は、私が1960年代からのべてきましたように、政治・行政には批判・参画、裏返せば組織(参画)・制御(批判)の関係です。前述のように、市民はその「必要」によって政府を組織し、この政府はまた市民によってたえず制御されます。そのうえ、市民活動が活性化すればするほど行政は縮小するという、反比例の緊張もあります。市民がナマケモノなら職員は増え、逆に、市民行政の独自展開は職員行政を縮小させます。事実、今日の自治体の財政緊迫、ことに退職金危機はこの論点を顕在化させるでしょう。

(3)日本にみられる市民団体の行政への安易な甘え、また行政による支援ないし協働、そしていつのまにか行政の業績にすらなるNPOの保護・育成というかたちでの相互ナレアイを、たえず、市民主権・市民自治を原点に突破する必要があります。そのとき、市民団体にたいしては、団体補助は一切廃止し、必要があれば第三者機関の選考による事業補助ないし事業契約とすべきでしょう。さらには、既成地域団体としての町内会・地区会、既成外郭団体の社会福祉法人やPTAなどの基本性格もあらためて問いなおしていき、自由な市民活動としてのその再編が日程にのぼることになります。
 最後の論点としては、市民活動の批判・参画型成熟は三〇年単位、つまり世代交代をとおして、ようやくすすむとういう洞察が必要となります。市民の品性・力量という<市民性>の熟成には時間がかかるため、アセルことはムダです。そのうえ、市民活動は試行錯誤の連続と言わざるをえません。安易な市民活動の理論化さらに制度化については、前述したように市民活動は「可能性の海」ですから、たえず警鐘をならしたいと、私は考えています。

 市民活動は普遍市民価値をめぐる「可能性の海」として、つねに予測しがたい可能性をはらみます。市民活動については、理論としては、市民社会において、各人の可能な範囲での、自立した市民の《相互性》からの出発ということができるにとどまります。


8 市民文化の成熟への問とは

 市民活動については、以上をふまえたとき、あらためて市民文化の可能性、とくに市民の文化水準を問うことになります。まず、市民文化については、市民とは何かを問うことからはじまります。市民文化とは、市民の生活様式さらに活動形態さらには価値意識だからです。

 市民とは、〈自由・平等〉という生活感覚、〈自治・共和〉という政治文脈をもつ、都市型社会に不可欠の規範人間型です。だが、この規範人間型は永遠に未完です。このため、「市民」も規範人間型として想定しうるようになった、普通の私たちが市民ということになります。それゆえに、市民とは、かつてのブルジョアとかプチブルといったような階層概念ではなく、市民型人間を想定した<規範概念>ということになります。

 ところが、そこには文明史的大問題がひそんでいます。欧米では、自由・平等、自治・共和の記憶を図10のような思想系譜でもちうるのですが、アジアでの東洋専制の伝統のもとにある日本では、自由・平等、自治・共和の記憶を歴史にもっておりません。とすれば、この都市型社会に不可欠の市民文化を形成するには、《市民》を規範人間型として想定する図11、ついで現代マス・デモクラシーにおける図11の再生としての図12という普遍市民政治原理をふまえ、未来にむけて、市民としての自己訓練ないし〈市民政治〉への模索が不可欠となります。この自己訓練ないし模索は、理論ないし情報レベルではなく、文化水準ないし品性・力量の問題であるかぎり、市民活動のなかでのみ醸成されうることになります。

 具体的な日本の政治文脈では、市民文化は次のような緊張をもつことになるでしょう。

(1) 官治文化 対 自治文化
(2) 私文化 対 公共文化
(3) 同調文化 対 寛容文化

 つまり、官治・集権型の東洋専制、これを再編した明治国家のもとでは、〈市民自治〉という発想は育たず、たえずムラ+官僚という図式の再生となってきました。このムラについては、第一のムラ=農村共同体、第二のムラ=都市の町内会や業界団体、第三のムラ=企業・行政における職場のムラとしてたえず再生し、さらに第四には国規模のムラとしての「国家観念」、実態は省庁縦割「政官業複合」による《官僚閣制》(拙著『政治・行政の考え方』1998年、岩波新書参照)となります。これでは、都市型社会で構造必然となる《分権化・国際化》に、日本の個々人から政治家・官僚それに理論家にいたるまで、対応できないのは当然です。

 ようやく2000年前後、日本で国家という言葉は死語になりはじめましたが、つい最近まで国家はシクミとしての政府装置ではなく、大型共同体としての国家共同体とみなされてきました。そこでは、個人は「私」にすぎず、「公共」はオオヤケないしオカミ、あるいは「官」ないし「国家」とみなされてきたのです。2000年代の今日、国家論が崩壊したため、これにかわって「公共論」の流行をみていますが、この公共も、また、〈公私〉というタテの関係で位置づけられています。

 そこでは、私のいう市民の〈相互性〉、つまり「市民」自体が《公共》で、政府は《公共》としての市民の「道具」という発想がいまだに成立しておりません。そのうえ、これまで「国家」の絶対・無謬性を想定してきたため、この「公共」の模策性・仮説性ついで「政府」の可能性・可謬性が想定されていないのです。
 
 ここから、個人の自立を基本とする「寛容」もうまれず、かつてのムラ同調に、あたらしくマス同調が重なっていきます。つまり、リベラリズムなきデモクラシーが、たえず「みんな同じ」という「全体」政治をかかえこんでいきます。

 くわえて、今日では、《公共自体》が、地域規模にふかまり、地球規模に広がって、「分権化・国際化」するとともに、図12にみるように、政治は各政府レベルで<多元・重層>という《分節構造》をもちます。この分節政治では、つまり政治の発生源が多元・重層化するという、開かれた批判・参画ないし組織・制御の構造をもつことになります。

 今日の市民文化は、このような分節政治のなかでの批判・参画あるいは組織・制御によって醸成されていきます。しかも、第1節にみた工業化・民主化をめざす近代化をほぼ終わった日本で、今日問われているのは、「進歩と発展」ではなく、「成熟と洗練」となります。市民文化としては、地域個性文化、国民文化、世界共通文化の三層緊張をめぐって、この「成熟と洗練」が問われることになるのです。そのとき、自治体レベルではこの地域個性文化の再生のため、地域史、エコロジーデザインをふまえた、自治体文化戦略が不可欠となります。シビル・ミニマムの「量充足」から「盾整備」への転換・飛躍とは、この市民文化の熟成を意味します。

 市民文化については、拙著『市民文化は可能か』(1985年、岩波書店)、『社会教育の終焉』(1986年、筑摩書房、新版2003年、公人の友社)、ならびに「市民文化の可能性と自治」『岩波講座・自治体の構想第5巻』(2002年)、『市民文化と自治体文化戦略』(2003年、公人の友社)を検討していただきたいと思います。
 

 以上のように、今日の自治体再構築という緊急課題、さらにその起点となる市民活動をめぐって、2000年前後から、日本も新しく転型期にはいっています。いわば、状況が変わってしまったのです。新しい時代は、また、新しい視野ないし理論を必要とします。
 
 市民自治ないし市民政治の理論はたえず模索の課題なのですから、できあがった解答あるいは理論はありません。皆さん方の一人一人の模索のなかで、解答ないし理論をかたちづくっていただきたいと思います。長時間ありがとうございました。(講演を整理して加筆)


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